安定した公務員を辞めて不動産を始めたワケ(前半)

私は、約10年間宮崎市役所で公務員をしていました。
それなりに責任のある仕事や、厄介な案件を担当したりと
問題解決を行うという意味では充実していました。

最初は住民票や戸籍の仕事をしてたんですが、この仕事実に興味深かった。
もともと専門は英語や教育分野だったので、外国人や特別在留者などの対応も
させてもらい、窓口での仕事と自分より年上の職員をまとめる大変さを学ばせてもらった気がします。

また、内閣府の青少年の船の通訳としてバヌアツやイギリス、アラブ首長国連邦等の青年団と一緒に
2回宮崎県知事の表敬訪問に同席したり楽しかった思い出がいっぱいでした。

人生を変えたのが2課目の国土調査の仕事への異動でした。
当初は測量のその字も知らなかった私でしたが、東京の国土交通大学校
で学び、また測量業者のおじ様たちのおかげで、土地の知識が深まりました。

そこで直面したのは、相続されてない家土地の処分に困る方々や
お隣さんと境界で争う高齢者、反社会的な団体や宗教施設、
そのままにされた国有地…
挙げるときりがないですが、とにかく問題がいっぱいだったんです!

少しでも市民の役に立ちたいと考えはじめ、宅地建物取引士の試験を受けることに決めた
きっかけでした。

私は、約10年間宮崎市役所で公務員をしていました。
それなりに責任のある仕事や、厄介な案件を担当したりと問題解決を行うという意味では充実していました。

最初は住民票や戸籍の仕事をしてたんですが、この仕事実に興味深かった。
もともと専門は英語や教育分野だったので、外国人や特別在留者などの対応もさせてもらい、窓口での仕事と自分より年上の職員をまとめる大変さを学ばせてもらった気がします。

また、内閣府の青少年の船の通訳としてバヌアツやイギリス、アラブ首長国連邦等の青年団と一緒に2回、宮崎県知事の表敬訪問に同席したり楽しかった思い出がいっぱいでした。

人生を変えたのが2課目の国土調査の仕事への異動でした。
当初は測量のその字も知らなかった私でしたが、東京の国土交通大学校で学び、また測量業者のおじ様たちのおかげで、土地の知識が深まりました。

そこで直面したのは、相続されてない家土地の処分に困る方々やお隣さんと境界で争う高齢者、反社会的な団体や宗教施設、そのままにされた国有地…
挙げるときりがないですが、とにかく問題がいっぱいだったんです!

少しでも市民の役に立ちたいと考えはじめ、宅地建物取引士の試験を受けることに決めたきっかけでした。